進路・就職

五木田智央さん

キャリアデザインⅠ

多様性について学ぶゲスト講師による講話

五木田智央さん
ゲスト
五木田智央 さん
(アーティスト)

今回は、現代美術を中心に活躍中のアーティスト 五木田智央さんをゲストにお招きしました。

五木田さんが5歳の頃は「ヘタうま」がブームだったのですよね。

技術はないけどセンスがいい「ヘタうま」にとても感動したので、サブカルチャーから入り、現代美術に傾倒したんだと思います。中学生時代には教科書に乗っている偉人の肖像写真全てに落書きをしました。

小学校ぐらいの時に兄が雑誌やレコードを買ってきていて、横尾忠則やアンディウォーホルなどのものがあって単純にかっこいいな、と思ったりプロレスが大好きでした。中学高校ぐらいの時は、フランチェスコ・クレメンテや大竹伸朗など80年代のニューペインティングの作家が好きでしたね。大竹さんの膨大な物量にやられました。ジュリアン・シュナーべルはいまだに大好きですね。

中学の後に人生のつまずきがあったと聞いていますが…

全然勉強しなかったので受験に落ちてしまって、文化学園の分校生徒募集を受けたんです。そこはわりと美術の学校で、そこにいっていなかったら画家になっていなかったんじゃないかと思います。

中学生のころはどんな音楽を聴いていたのですか?

中学生の頃はYMOが大ブームで、運動会にかかったりしていたので、YMOのメンバーが好きなミュージシャンの曲とかを聞くようになって音楽の幅が広がりました。

五木田智央さん 講話

音楽と自分の今やっている作品に関わりがありますか?

絵自体にはないです。でも実は絵の作品タイトルは、ほとんど現存する音楽の楽曲のタイトルから頂いています。

高校時代はアルバイトをしていましたか?

おしゃれが好きで、ほとんど洋服代に消えていましたね。客商売とかは嫌なんで裏方のバイトというか。一番長く続いたのはビルの床清掃ですね。高校卒業後武蔵野美術学院という専門学校に入学して、自分はデッサンが上手だと思っていたんですけれど、学校に入ると自分より上手い人が何人もいるわけですよ。結局2年で中退してしまいました。退学書類は、親の筆跡をまねて自分で書いて出しました。

五木田智央さん 講話

漠然とした進路はもっていたのですか?

小学生から高校までにあらゆる雑誌に絵を投稿していて、高校生のときにギャラが発生する演劇のポスターや英語の参考書のイラストなどの仕事を受けていました。安いギャラでしたが、やりながら漠然と、自分はそういう仕事に着くのかなとは思っていました。ただ画家になるとか、現代美術をやるとかは全く想像していなかったですね。

自分で投稿した作品が印刷物になるということはどうでしたか?

いやあ、感動しましたね。友達と野球をやっていても、早く家帰って絵を描きたいなと思っているような子供だったから。

五木田智央さん 講話

学校を辞めてからはどうされたのですか?

横尾忠則さんとか椎名誠さんとかの影響もあって、インドにはいかなくてはと思い立ち最初バングラディッシュに行って、その後にインドに行きました。空港出たら50人ぐらいの子供たちが殺到して来て「金くれ!」って。インドは物価が安いので2年ぐらいいてもいいかなと思っていたんですけど、マイルス・ディビスの影響で、今度はどうしてもニューヨークに行きたくなったんです。それで今度はニューヨークに行って遊び呆けていたらお金なくなっちゃって。日本に電話して、知り合いの知り合いを探し出して、NYにいる人にお金を借りて帰国してきたんです(笑)。帰国後は、イラストレーターの仕事をしていました。雑誌だったりCDジャケットだったり。たまたまそういう仕事関係の人と出会うんです。DJライブのフライヤーを描いたら、レコードのデザインを依頼されたりと…。デザインのことなんか全然わからないのですが「できますよ」と言ってしまい、友達にデザイナーが何人かいたので、やり方を教えてもらったりして。いつの間にかグラフィックデザインの仕事が増えていったんです。

「BURFOUT!」という雑誌にUA(ミュージシャン)のイラストを描いたら、ディレクターが気に入ってくれて表紙にしてくれました。そこから結構絵の仕事が来はじめたのは嬉しかったのですが、UAみたいなタッチで描いてくれというオーダーが来るようになって、辛くなって一切仕事を断ってメキシコに逃げてしまいました。メキシコでコロナビールの小瓶を毎日25本ぐらい飲んでいました。

五木田智央さん 講話

絵を描く仕事(イラストレーター)から画家になったきっかけは何ですか?

作品集「ランジェリーレスリング」は、NYの何店舗かで売られていてそれを読んだアーティストからEメールがきて、グループショーに参加してくれないかと言われたり。いろんな人から声が掛かり始めました。

美術館の依頼とかギャラリーの話とか、高額な仕事もあるんですが、このタッチで描いてくれという指定があったり、打ち合わせが多かったりと嫌なこともたくさん経験しました。きっかけや仕事の話は、自分の方からというよりかは、他から色んな人が声掛けて来て、引っ張りあげてくれたような気がします。不思議なものです。その意味では、若い時に自主的にガンガン投稿していた時代が一番アグレッシブだったかもしれません。

五木田智央さん 講話

それぞれの作品については色々あると思うのですが…

作品集「777」は、最初は600枚ぐらいだったのですが最終的に偶然777枚になったんです。全部まとめてあるコレクターが買ってくれて額装は全部自分でしました。ずーっとモノクロの絵を描いていたのですが、突然嫌になってしまって青色も使い出したのですが、これが全然売れなかったんです。

五木田さんの使っている筆はどのようなものなのですか?

全部安い平筆でホームセンターで買っています。自分のアトリエを「道場」と呼んでいます。次の展覧会が香港なのですが、来週締め切りなのですがまだ一枚しか描けていないという…どうしましょうかね。ノッテしまうとば早いのですが…。元々糸まき工場だったちょっといいプレハブみたいなところがアトリエ道場で、そこで制作しています。絵を描いているときはレコードとひっくり返すのが面倒なのでラジオを聞いています。最大サイズが200号までしか出入りできないんです。朝5時に起きて、子供が7時半に出るので一緒にご飯を食べる。8時前には毎日道場にいます。

五木田智央さん 講話

制作のスタイルというか、ポリシーみたいなものはあるのですか?

ブレないという言葉は嫌いで、ブレまくりです。ブレまくってようやく今の所にたどり着いたのですね。ブレてこそかな。自分で思った通りの絵が描けたときの快感はものすごいですよ。正直そういう100%うまくいったな!という実感は、日常的にはあまりまりませんから。

大学生に感じていることや、言いたいことはありますか?

実はないんですよね…そういうメッセージとかは。まだ言えませんよそんなことは。この場にいること自体も「自分なんかがここにいていいのかな?」という感じですよ。

学生からの質問

展覧会とかの話は向こうから依頼がくるんでしょうか。それとも自分からアプローチするのですか?

向こうからですね。いついつにやってくれませんかというお話が来ます。

作品を作る時に考えていることだったり、伝えたいことなどはありますか?

それは色んなことを思いながら描いているのですが、まず自分が最初の観客なので、自分が納得できるものにしたいとは思っています。気をつけていることは…特にないですね…。とにかく描き始めないと何も始まらないので、僕は計画性がないんです。

五木田智央さん 作品

昔は下絵を描いていないと聞きましたが…

昔はキャンバスにダイレクトに描いていましたが、最近は下絵を描いていますね。人物が多い時とか。

気が乗らないなと思った依頼とか嫌だなと思う仕事はありましたか?

グラフィックデザインの仕事の頃はたくさんありました。タッチを指定されたりとか、何年も前のやりかただったりとか…。好きにやりたいんですよ、多分…。

色んな仕事やアルバイトをやってみて、これで食っていけるかなと思えた時は?

段階が幾つかあって、まず「ランジェリーレスリング」の出版の時はこれでいけるかもしれないなと思っていましたね、30歳ぐらいのときです。だけどそのあとイラストの仕事がきてメキシコに逃げるんですが…。嫌になるタイミングと繋がっているのかもしれませんね。

五木田智央さん 作品
開講
2017年12月12日